立ち止まってもいいよ。また歩こう

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「ここに出会えて良かったです」
そう言う患者さんの笑顔を見るたび、
ほっこり暖かい気持になります。

私もFMT整体の元患者でした。
私がなぜ整体師をしているのか?
これまでのことと今の思いをお話ししていきます。

こんにちは。FMT整体の三浦博です。

昭和47年に福島県の片田舎に生まれました。
母と妻と中学生の長男、長女、小学生の二男がいます。
家族で毎日楽しく暮らしていました。

でも、東日本大震災で原発が爆発してからは、
放射能のせいで落ち着かなくなりました。
子供たちが心配だったからです
でも、どうすることもできませんでした。

迷いや辛さを振り払うように毎日走りました。
ある時、ランニング中に、足の裏が痛くなりました。
調べると「足底筋膜炎」という症状らしく
10年以上悩んでいる人もいるようでした。

お医者さんに行ったり、接骨院に行ったり、
湿布やマッサージやストレッチをしても
余計に悪くなる感じでした。
1ヶ月以上も足を引きずっていました。

困ってしまって、治し方を調べていると、
FMT整体のホームページを見つけました。

そこには、”湿布やマッサージはよくないですよ”
ということなどが書いてありました。

それまで信じてきた常識とは
余りにも違う内容だったので、
はじめは、信じたいけど信じられない気持ちでした。

もっと読んでいくと、この整体をはじめた人は
お寺のお坊さんだと分かりました。

「ちょっと怪しすぎる」と思いましたが、
よくよく調べると、昔から何百年も続く
伝統のあるお寺だったので、
少しだけ信用してみようと思いました。

それまで足にいいと言われることを
いろいろやっても治らなかったので、
今までとは違うことをやってみよう
とも思いました。

FMT整体は福島県にはなかったので、
「足底筋膜炎セルフケアDVD」を買いました。
DVDのマネをして自分で施術を行い
自宅にいながらにして足を治すものです。

セルフケアは、軽く足やふくらはぎに触れるだけで
誰にでもできるような、簡単なものでした。

「こんなんで治ったら医者はいらなでしょ。」
と正直思いました。
思った通り、足の痛みは全くよくなりませんでした。

でも、次の日、朝の一歩目の痛みが激減していました。

・・・速攻で横浜院に予約をしました(笑)
「また走れるかもしれないなあ」
「自分でも治せるんだなあ」とワクワクしてきました。

・・・興味深々でFMT整体のホームページを見ていると
”セラピスト募集中”と書いてありました・・・。

「ピーン」ときたのを今でも覚えています。

私は、”あーでもない、こーでもない”と
工夫して自分でいろいろ試すのが好きです。

私の両親は商売をしていて、忙しかったので
ほとんど遊んでもらった記憶がありません。

一人で遊んだり、本を読んだりして過ごした子供時代が
私のそんな性格を作ったのかもしれません。

なので(?)、小さい頃は
職人さんや”◯◯博士”に憧れていました。

その流れで、中学の時は、
遺伝子工学の研究者か、
料理が好きだから料理人か、
治らなかった肩を治してもらった
整体師になるのが夢でした。

また、小さな頃は太っていて、体も弱く
スポーツは大の苦手でした。
運動会ではいつも股ずれが起きました。

でも、バスケットボールをはじめたら
痩せてきて運動も得意になりました。

自分の体を変える楽しみを覚えてからは
いろいろな健康法を試してきました。
FMT整体の技術や理論にとても興味が湧いたのも
私にとっては当然のことでした。

それに、自分で治せるようになれば
お金や手間もかからないと思いました。
そして、家族の健康を守れるかもしれないと思いました。

 

初めての横浜院では、明るく爽やかな先生が
笑顔で私を迎えてくれました。

これまで行ったことのある整体院や
整体師のイメージとは全く違いました。

”挨拶をする、靴を揃える、敬語を使う”
ホームページを見た時から感じていた大切な何かを
院内や先生の雰囲気を肌で感じ、再確認しました。

「素敵な先生だな。こんな風になれたらいいな。」
と憧れの気持ちが強く出てきました。

私は、初めて施術を受けた日、当時の先生に
どうやったら整体師になれるのか聞いていました。

ただ、私には大切な家族がいますし、
なんの不満もない安定した仕事もあります。
かなり悩みました、

でも、家族を放射能から守りたいという気持ちが
失敗したらどうしようという怖さに勝ってきました。
安全な場所で暮らすには自立するしかないと思いました。

それまで勤めていた裁判所を退職後、
愛知県の本院で実地研修をしました。

実際の現場では失敗ばかりで
自分のできなさ加減にちょっと泣けてきました。

それでも今があるのは、早朝から夜遅くまで
本気で接してくれた先生方、関係者の皆さん、
一緒に学んだ仲間や、家族の存在のおかげです。

思えば、以前の私は、
「豊かな暮らし」や「社会的地位」や
「好きなこと、楽しいこと」を求めて
人と競って手に入れてきました。

幸せで充実した人生には、
当然競争に勝つことが必要だと思っていました。

もちろん、勝利を目指したおかげで
勉強やスポーツを頑張ったり、
仕事をしたり、お洒落したり、
と成長できた面もあるでしょうが、

実際は、家族や先生、仲間など、
心ある人たちに支えてもらっていたのに、
「自分の力で生きてる」という、
勘違いをしてきた気がします。

そして、勝ち続けなくはならないのに
それができるはずもなく苦しんでいました。

東日本大震災が起きました。
食べ物は売ってないし、水道も出ません。
でも、辛い状況ほど、人の優しさが見えてきました。
その優しさが優しさを呼び、皆で協力して生きていました。
そのとき、「大切なものってなんだろう?」
「幸せってなんだろう?」と思いました。

放射能は見えないし、匂いも味も音もしないし、
全く何も感じず、不便も何もありませんが、
心には不安や苦しみは間違いなくありました。

自分の体や能力の衰え、怪我、家族の死、出生、震災
FMT整体との縁、整体の修行や挫折など、

このような経験があるからだと思うのですが
今では、一番大切なものって、
目には見えない「心」だと思っています。

頑張って鍛えた肉体も、稼いだお金も、新築した家も
死んだら何一つ自分のものではありません。
財産は残したら残したで争いの元になったりします。
しかし、志はずっと受け継がれて行くと思うのです。

だからこそ、私は、人にいい影響を与えられる
存在でありたい、人の役に立ちたいと思います。

振り返ると、祖母から絵本の昔話を聞いていた頃は、
大切なものが何かは分かっていたはずでした。

私がFMT整体に惹かれ続けていた理由は、
整体の理論や技術もさることながら、

そんな想いをずっとここに感じていたからだと思います。

私は、一人でも多くの方の役に立てるよう、
心を手のひらに乗せて施術を真摯に行います。

そして、できることを増やしていって
世界中の人が笑顔になるお手伝がしたいと思っています。

今は痛みで辛いかもしれません。
私も患者でしたからそれはよく分かります。

でも、私は、ここに通って、歩くのもやっとな状態から
フルマラソンの自己ベストを出せるほど回復しました。
仮に人生に問題が生じてもさほど悩まないようになり、
いつも穏やかにいられるようになりました。

だからあきらめないでください。

痛みには必ず原因があります。
その原因を取り除く正しい道を選べば、
人は治るようにできています。

歩みを進めるのはあなた自身ですが、
道が分からなければ目的地には着けません。

でも、太陽が昇って明るくなったらどうでしょう?

これからどんな未来が待ち受けるのか
私は、道を照らして明らかにし続けます。
私は、迷路の地図を持っています。

次にゴールテープを切るのはあなたです。

私もまだまだ、山あり谷あり、人生という道の途中ですが
だからこそ、私は、頑張る人を応援したいです。

毎日を笑顔で充実して過ごせるよう、一緒に頑張りましょう!

 

三 浦   博

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